June 30, 1998

サッカーネタ最終会

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 スポーツ論でいつも出てくるのがハングリー精神って言葉。
最近サッカーではマリーシアって言葉が流行っていてイヤやわ。こんな豊かな国に住んでいてハングリーになれって言われてもムリな話よ。マリーシアにしてもずるがしこく汚くいくわけでしょ。貧困な国では生きるために、例えば盗みとかのようなことをしてしまう中で、自然とそういうマリーシアの部分が育つのかもしれないけど、日本では難しいと思うよ。日本での盗みなんてカッコええからとかいう理由が大半ちゃうかね。

だから、豊かな人にハングリーになれって言っても意味ないし、真面目な人にずるくなれって言っても出来ないのよ。特にサッカーで言えば、今の日本代表なんてまだまだサッカーヘタなんだから、もっと上手くなって世界の差がほとんどなくなった時に初めてそういうマリーシアだとかいうべきでしょ。まだ、はやいと思うわけです、僕は。
まあ、勝負ごとですから、勝たないと意味ないから、何が何でも勝てっていうのはよく分かるんだけど、めちゃめちゃ卑怯な代表ってイヤでしょ。 でも、こういう風に書くと、日本という国は、日本である故に勝負ごとに弱くなってしまうみたいでイヤなんですけど、こういう話もあるんですよ。

何の本で読んだのか、誰が書いていたのかは忘れたんですけど、日本がもし、豊かであるから勝負ごとに弱くなっているのだとしたら、他国が豊かになり、日本が貧しくなれば、その立場は逆転するかもしれないってことですよね。

 日本の国民性は日本の社会や教育によって生まれている。それは縦社会や年功序列からも分かる、個より和を大切にする教育である。強調性に欠ける人間は除外され、能率重視の管理社会に適応する人間が求められる。しかし、最近、ビジネスがグローバル化してくると、島国の独自のやり方では世界に通用しなくなり、自然と実力主義へと移行しつつある。日本人が和より個を尊重するようになれるのかどうかは疑問だが、確実にシビアな実力主義に向かっているのは間違いない。

 また、日本の経済状態が悪化し、他国と生活水準の差がなくなってきたとしたら。まあ、こんな感じで日本を取り巻く環境や日本人自体が未来に変わったとしたら、その時の日本人は汚く、ずるく、そして、個の能力にたけた魅力的なモノになっているかもしれない。
それに加え、日本独自の組織的な考えも残っていると思われるしね。もちろん、それによって失うモノも非常に多いと思うが、今の日本は何の疑いもなくそういう方向に向かっているんじゃないかなと思う。

まあ、そう考えると、ごく部分的には未来は明るいのかねーってこと。

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