文章の中のらしさ
今日友達と会った。順調そうでなりより。
そして、帰ったらたまたま、何人かの人からメールをもらってた。
懐かしい人からのメールもあって嬉しかった。みんな元気そうです。そして、みんな見とりますのお。
いろんな人が見た時、楽しかったり、何か興味をそそられる文章を書きたいところだが、どうしても、個人的な愚痴に終わることが多い。
そのへんは改善点として意識して変えていきたいと最近思ってきてる。
まず、自分にとって意義アルもの、そしてプラスアルファみんなに意義アルもの、それが何事でも理想だ。理想は達成できなくても、とりあえず諦めず目指そう。
話を戻すと、今日送られてきたメールの中に書かれていたことがあって、昔から言われることなのだが、僕の文章は特徴的で、話し言葉だそうだ。自分ではどう特徴的かよく分からない。村上春樹の文章に似てるなんて褒め言葉をもらったこともあった。
彼の本を読んでも、どこが似てるのか全く分からなかった。
僕が普段話している感じがそのままなそうだ。社会人になって以来ずっと言われ続けている。
会社の場合は、大抵上司に注意される。
提出用資料としてこの文章は適切か。
とか
なぜ、こんなに態度のデカイ文書を取引先に送っているのだ。
とかです。
文章書くとき、頭で考えたことをダイレクトでタイプする。するとこういう文章になる。
なんというか、噛まずに飲み込む感じだ。
仕事用はずっと書いてるから、今はもう昔ほどひどくないはず。昔はひどかった。
でも、業務でも、やりとりする人と大抵ナアナアになってしまって、仕事用の文章としては適切でないこともあるはず。
昔、取引先の方とのメールの中で、
おっと、失礼。
その件は、.....
みたいなんがあって、それをたまたま見た後輩が、
おっと、失礼、なんでいるんですか?
と真剣に言われたことがあった。
今文章にして書いて思い出すとメチャおもろい。
ま、いいんじゃない。オススメしないけど。
とその時は適当な答えをしてた。
今だったら、こう言おう!
書くべきだ。そして、それが相手に不快感を与えないような人間関係を構築しときや、と。
僕的にはコミュニケーションの目的は、ようするに、伝わって、かつ相手が不快な思いをしなければOKだと思ってる。堅苦しい文章で意味が分からない文章は僕には無意味だ。
コミュニケーションは相手次第で変わる。
同じことを言うても、相手次第で受け取り方は違う。
これはインターネットみたいな不特定多数のメディアが生まれた時に、最初に言われていたことだ。
ただ、メールは相手が特定されている。だから、文章だけ見て、ああだこうだ言うのはナンセンスだと少し思うわけで、その過程や、関係を知らずに横からやーやー言うな。と。会話の一部分だけを切り取って評価しているような気がする。
ここに書いてるのは不特定多数に対してとも受け取れるが、実は自分のための独り言なので、対象を意識した書き方はしない。今のところ。
今書いたことは極論だ。バランスが大事だ。ただ言わんとすることは書けたかと思う。
何を言おうとしたかまた忘れたが、文章はらしさを維持しつつ書き続けよう。
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